裁判所では《被告人の内心》をどのように審理するか解説します
今回は、殺意の認定について、事例を用いながら解説します。
《内心を審理することの問題点》
被害者が亡くなった事件の場合、被害者の方から話を聞く事ができません。
そして、「被告人に殺意があったかどうか」は、被告人本人以外は分かりません。
そんな時、その人に殺意があったのかどうかをどのように審理していくのでしょうか。 今回は、
暴力をふるった結果、相手が亡くなった
という例を使って解説します。
傷害致死罪と殺人罪の違い
人が亡くなったという案件では、主に以下の2つの条文を検討します。
第百九十九条(殺人)
人を殺した者は、死刑又は無期若しくは五年以上の懲役に処する。
第二百五条(傷害致死)
身体を傷害し、よって人を死亡させた者は、三年以上の有期懲役に処する。
この2つの条文は、「被害者が亡くなった」という点は同じです。
しかし、どちらの条文が適用されるかどうかで、刑罰の重さが大きく違います。
この2つの条文は被告人の《内心》によって区別されます。犯行時、「どういう認識を持っていたのか」ということです。
人が亡くなったという事例であれば、
傷つける意思をもって攻撃して、相手が亡くなった場合は第二百五条(傷害致死)が適用されます。
死に至らしめる認識があって攻撃して、相手が亡くなった場合は第百九十九条(殺人)が適用されます。
確定的な故意と未必の故意
では、以下の場合はどうなるでしょうか。
被告人が「確かに胸部を数十回包丁で刺したが、殺す意思はなかった」と主張している場合
このような内心の問題を考える際、大切なのが《確定的な故意》と《未必の故意》です。
未必の故意とは、「該当事実が発生するかもしれないが、それでいい、仕方がない」という認識のことです。
人が亡くなった事例で考えると、「胸部を数十回包丁で刺す」という行為を行う認識があるのであれば、人を死に至らしめる危険性が高い行為を行っているということを認識して、それでもその行為を行ったと評価される可能性が高いです。そうなると《未必の故意あり》として、第百九十九条の殺人罪が適用されます。
被告人の心情はどのように判断する?
上記で検討したように、人が亡くなったという事例では、凶器と行為態様は非常に重要な要素です。犯人は凶器を使って攻撃したのか、何の凶器を使ったのか、そして、その凶器で、どこを、何回、どのくらいの長さ、何をしたのか、傷口などの客観的な情報から細かく認定していきます。
その他にも、犯行動機や、犯行前後の行動など、様々な客観的事実や証拠から、被告人に殺意があったかどうかを推認します。
つまり、殺意があったか否かという内心の問題は、客観的な事実や証拠から審理することになります。
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